2015年09月16日

9月第2号 100均は、江戸時代から始まった


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日本髪のかつら


100均は今の時代?

どっこい江戸時代にはすでに存在したというから驚き、

というよりもやはり当時は世界第一人口を誇ったお江戸である。


先ず一つ目、こいつァ中々のもんでございますよ。


十九文屋‥・・つまりは何んでも十九文(475円)、

と言っても十九文で揃うという品物を集めていた。


ちなみに、商品は髷関係・櫛、日用雑貨、子供のおもちゃ、

裁縫用具、小鋏、小刀、剃刀、三味線の糸、墨、筆など。


これらは今で言う露天商、道端にゴザを拡げ、

商品を並べて直接取引。


日本ではもう見られないけれど、

海外ではさほど珍しいものでもない。

パリなどはこの商売方法は合法である。


ただし政府の許可は必要不可欠・・・・・にも拘らず、

物乞いや帽子を置いて音楽など芸を披露して

お金をいただく人たちもちゃんと許可を受けている・・・・

はずだが、その大半8割が潜りというから・・・・・・・


エッフェル塔やコンコルド広場にもこのたぐいはわんさかといる。


お巡りさんの姿を見るとサッと拡げた風呂敷?

を畳んで逃げ出すのは潜り、

捕まれば召し上げだから江戸と変わりない。


お江戸の場合はその辺りを長吏弾左衛門など

穢多非人頭の下にきっちりと管理されていた、

さすが進んでいるねぇ。


他には4文屋(しもんや)と言うのも有り、

これは団子一串4個を4文(百円)で販売していた、

つまりこれが百均の元祖?


屋台形式になるとちょいと格も上がって?

八〜十二文(二百円〜三百円)で、

オデンやニシン・スルメの煮付け・クワイ・

駄菓子などを売っていた。


縁日ともなるとこの屋台が店を張ったわけだ、

今も日本のお祭りの風物詩として失われずに存在する。


場所は両国から柳原・柴まであったと言われ、

かなり広範囲に存在した。


時代は四文銭が出来た頃からのようで、

同時代は田沼意次の政権下であった。


田沼意次は賄賂政治の首謀者と悪く言われているが、

それは当時将軍が変わり、清廉潔白な松平定信が老中になり、

田沼を切り捨て、これを大いに宣伝に利用したために

後世はそれが正しいと洗脳されたに過ぎない、

この事については別に稿を設ける。


行商する女性は販女、鬻女、販婦(ひさぎめ)

と呼ばれた。


面白い商売に「かもじや」と言うのが有り、

京都で始まった?公卿さんの長い髪は自毛だけでは足らず

人毛のほか牛の尻尾なども使われた。


今風に言えばタボ?髷(まげ)の根元に付ける

根髢(ねかもじ)や、鬢(びん=髪の横の部分)

に箕状の鬢箕(びんみの=つけ毛?タボ?)が知られている。


宮中の垂髪(すいはつ)ではおすべらかしに髪を垂らすために

加える長髢(ながかもじ)や前髪を平額に整えるための

丸髢(まるかもじ)などがあった。


用いられる材料は落ちている髪を拾い集めたものだけに

とどまらず、女の命友いわれる髪を切って

生活費用に当てたものもある。


髪結床で櫛によって梳き取られる髪をあつめる梳子・

梳手により集めたり、髪文字屋(髢屋・かもじや)

という商売で、集めた髪を付け毛の製作販売者に

売る商いもあった。


街を流し「おちゃないか?おちゃないか?」

と流して髪を集めた。


これは「落ちていないか」から「落っちゃいないか・・・

おちゃないか・・・おちゃない」と変わったようである。



鬼平犯科帳外伝  「鬼平まかり通る」 

               http://onihei.nari-kiri.com/

posted by onihei at 10:50| Comment(0) | エッセイ
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